Danger signal <逢引>





「……チビッこら、おチビ!人の話聞いてないだろー?」

「…え?」


俺を呼ぶ声が聞こえて。その声がとても好きで。

ハッと気付いて見上げると、英二先輩が俺を怒ったような顔で見ていた。


「あ、やっぱり聞いてない。
 だからね、今日のお昼は、俺と一緒に屋上で食べようって誘ってるの!」

「はぁ…」

「もう、そんなボーとしてると危ないぞぉ?あ、予鈴だ…!じゃ、約束だぞ!!」


どうやら今は二時間目と三時間目の間の休み時間のようで。

突然やって来て、バタバタと走り去って行く三年の先輩に、クラスメイト達は驚いた表情をしていた。

…俺だって昨夜は、あんな顔をしてたはずだ。英二先輩の違う一面。

今日呼び出したのだって…どうせ口をもう一度塞ごうという理由なのだろうけど。

それでも先輩と会えるきっかけがあるのは、少しだけ嬉しい。


「なんだぁ、菊丸先輩?何の用だったんだよ、越前」

「別に」


不思議そうに英二先輩の後姿を見てる堀尾に、俺はそう呟いた。

俺は言うつもりないから、そんなに慌てて口を塞ぎに来なくても良かったのに。

そう思うと、クスリと笑みが洩れてしまう。


「なんだぁ…?菊丸先輩も、越前も。今日は何か変だぞ!」


訳が分からない!という表情をすると、堀尾は自分の席に戻って行った。

そう、分かるわけないんだ。先輩の性格も、先輩の行動も。

掴めるわけがないんだよ。あの人の人間性ってやつは。


「………ふあ…ぁ…」


俺は欠伸をすると、昼休みまでの二時間は適度に寝ておこうと思った。

折角先輩に会うのに、眠いなんて嫌だから。





キーンコーン カーンコーン………


「……ん…?…しまった!先輩…!!」


目を覚ました時には昼休みになっていて。しかも十五分くらい過ぎちゃってた。

…先輩、まだ待っててくれてるかな?

寝過ごしてしまった自分を情けなく思いながら、俺は屋上の扉を恐る恐る開いた。


「…英二先輩…?」


誰も、居ない。俺は涙が出そうになるのを堪えて、もう一度辺りをキョロキョロと見渡した。


「先輩…、やっぱり居ない…?」


唇が震えそうになる。英二先輩は怒ってるだろうか。

俺がバラそうとしてるのかも、と疑われてしまったかもしれない。


「…おチビ?あ、やっぱりおチビだ!こっちだよ、上がっておいで?」

「英二先輩…!?!」


時計塔の窪みになっている所から顔をひょっこり覗かせたのは、紛れも無く英二先輩だった。

俺は嬉しくなって、夢中で梯子を上った。


「御免なさい…、遅れちゃって…」

「いいよん。俺もちょっと寝ちゃってた。…って、あれ?おチビ、お弁当は??」

「え?」


持ってくるはずだったお弁当。

…そういえば、寝過ごして焦ってたから、手ぶらで来てしまった気がする。

タイミング良く、ぐーと鳴る腹の音。


「あちゃー、忘れちゃった?今から取りに戻ると、休み時間なくなっちゃうし…。よし、俺の半分こしよ!」

「でも、それじゃあ…」


俺も先輩も、食べ盛りな年頃。それも毎日の部活で消費してるエネルギー。

…お弁当を半分にしたら、絶対足りるわけがない。俺はいいとして、先輩が。


「俺の事は気にしないでいいよ?授業の合間にパン食ってたし」

「…う、でも…」

「おチビはどうせ睡眠学習で食べてないんだろー?遠慮しちゃダメ!」


目の前にずいっとお弁当を出されれば、もう断る事は出来ず、俺は大人しく先輩の隣に座った。

色彩良く飾られたおかずが、作った人のセンスの良さを主張していた。


「…凄い、美味そうッスね」

「食べてみな。見た目以上に美味いかもよ?」


お箸を渡され、手前にあったオムレツにかじりつく。

ふわっとしたタマゴと、スパイスが適当にきいている具が、口の中で弾けるようだった。


「美味しい…!」

「へへー、嬉しいにゃ。お弁当、俺が作ってるんだよん」

「え…」


俺は目を丸くした。栄養バランスを配慮したように、肉も野菜も卵も一定の割合である。

前から料理が上手い!という話は聞いていたけど…こんなに出来るとは思ってなかった。

俺なんて、米をとぐ程度の事しかやったことないのに。


「先輩、凄いッスね」

「アリガト。おチビにはね、いつか食べてもらいたかったから…丁度良かったよ」


にぱっと笑顔を浮かべる先輩。

昨夜のような男らしい表情はどこか抜け、猫っぽい可愛い雰囲気が包んでいた。


「…先輩。俺を呼んだのって、昨日の事?…俺、誰にも言わない…」

「違うよ。そうじゃなくて…。他の奴とかじゃなくて、おチビには…勘違いして欲しくなかったんだ」

「勘違い…?」


先輩がジッと、俺の様子を伺っている。…居心地が悪い。

心臓がバクバクと煩くて、嫌な感じだ。


「俺、確かに煙草も酒もやってるけど…。
 あいつらの支配下に居るわけじゃないし、他の人間に迷惑かける事やったりしてないから」


弁解するような言葉だが、媚びる様子も無い。

自分の信念を語っているような、真っ直ぐな言葉。


「…吃驚したけど、そんな風には思ってないよ。
 部活の時とは違うけど…なんて言うか、先輩、生き生きした表情してたから。あの場所が、居心地良いんでしょ?」

「分かってくれるの?…確かに、テニス部の仲間も大事。だけどあいつらも…優劣つけられないくらい大事なんだ」


先輩は「おチビが分かってくれるなんて嬉しい」と言って抱きついてきた。

心臓が、早く鳴る。


「…何で?俺が分かると嬉しいの?」

「うん…嬉しい。何だろうね、おチビのこと大好きだから、俺」


にこにことした表情で言う先輩。…冗談なのは目に見えている。


「…俺も、先輩の事好きだよ」


不意打ちに、呟いてみた。






「あーあ…おチビってば不意打ちだよぉ…」


甘い言葉を呟かれた後、俺は硬直してしまった。

可笑しいよな。今まで、どの彼女に言われたって特に嬉しくなかった言葉が。

こんなに俺の心を動かすなんて。


「…可愛い寝顔…」


サラサラと風と踊る黒髪。閉ざされた黒曜石の瞳。

あの後眠くなったのか、今は俺の膝の上で丸くなってしまっている身体。


「ほんと…可愛過ぎだよ?おチビ…」


知らないよ?俺を煽っていいの?

おチビは冗談で囁いた言葉だろうけど、俺はかなり本気だったんだから。

あとで後悔しても、遅いんだからね………


「覚悟してよね…おチビ」


黒髪をそっと梳いて、額にキスをする。

そしておチビの頭が落ちないように軽く腕で抱きしめると、俺も瞳を閉じた。

暖かい日差しの中で、気持ちの変化を感じ取りながら…